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広く認知してもらうには、ある程度の「緩さ」が必要

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 余計な食材や調理の工程をできるだけ省き、必要最小限の食材と調理だけで済ませ、その食材が持つ潜在能力を最大限、引き出し、食材に語らせること―。「cool な食べ物」が備えるべき第一条件は、これで、一応、決まったものの、そこでハタと、立往生してしまいました。「ちょっと、待てよ。食材が持つ潜在能力を最大限、引き出し、食材に語らせるのはいいけど、それだと、ヘタをすれば、一部のプロだけ(つまり、料理関係者のこと)の独り善がりになってしまう恐れはないか…?」と。食材が、簡単には手に入らない、高級なものであるとか、あるいは、実際に作るのに熟練の技を要求するものであるとか、日常ではない、改まった場で食べるものであるとか。そんなだったら、「cool な食べ物」として、広く認知してもらうことは、およそ、不可能だからです。  杞憂かもしれません。でも、「食のミニマリズム」っていうのは、ある意味、人間の本性というか本能と反する部分がある(美味しいものを、たくさん食べたいというのは、人間の本性です!)ので、食のプロの人たちがストイックに追求していけばいくほど、一般大衆からソッポを向かれる可能性があるのです。それだと、元も子もない。  そこで、2つ目の条件を設けました。「緩い」食べ物であること。これです。  緩いとは、コスト的にも、調理工程的にも、TPO的にも、ハードルが低いというニュアンスです。つまり、わかりやすく言うと、①身近にある、あり合わせのもので作れ、しかも、②作り方に、「こうしなきゃ」「ああしなきゃ」という縛りがあまりなく、③出来上がったものは、主食としてでも間食としてでもOK。こういうことです。  これだけ緩ければ、一般大衆からソッポを向かれる心配もまずないでしょう。だって、あの「な~んちゃって制服」やコスプレだって、外国人旅行客から、cool であるとして、あれだけ支持されているのは、着る人のセンスに任される部分の大きさというか、その自由度の大きさゆえなのですから。親近感。これって、友人になるための第一歩です(^^)。(ただし、それが、 日本各地に出現した、あの「ゆるキャラ」みたいに、 ただの子供騙しだったりすると、いずれボロが出、膨大な税金を、あたら、ドブに捨てる結果になったりするので、大手広告代理店の口車などには、けっして、乗せられないよう)。  し

食のミニマリズム

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「 cool な食べ物」と言った場合の cool 。いったい、何をもって、カッコいいとするのか。これは、人によって様々と思います。手の込んだものがそうだという人もいれば、長い間、受け継がれた、日本古来の伝統的な食べ物がそうだという人もいる。あるいは、土地土地に伝わる郷土料理の類がそうだという人もいるかもしれない。まさに、議論の分かれるところです。  しかし、ここでは、エイやで(?)、外国人が日本の食文化に最も期待するであろうところのものをもって、cool と考えました。外国人が日本の文化に最も期待するであろうところのもの。それは、一言で言えば、「ミニマリズム」ということではないでしょうか。  ミニマリズム。どこかで一度は聞いたことがある言葉かと思います。でも、それって、どういう意味なのか説明できる人は、案外、少ないのではないでしょうか。それもそのはずで、中高レベルの国語辞典には、この言葉、載ってないからです。皆、意味がよくわからないまま、「ミニマルが一番」とか「ミニマル・ライフ、始めます」「ミニマリスト宣言!」というように、当たり前のように使っている。ま、大抵は、似たような言葉の「ミニマム」(=最小限。最小)と混同して使っているような気がしますけどね(^^)。  これだけポピュラーな言葉が辞書に載ってないのは解せないと思い、大手町の大型書店の辞典売り場に駆け込み、『大辞林・第三版』(三省堂発行)を引いたら、出てました、出てました!(ちょっと、余談ですが、この『大辞林』は、”日本語[国語+百科]大辞典の最高峰”と言われるもので、あらゆる分野の言葉に最新項目を加え、何と、238,000項目も収録しています)。  そこには、こう説明されています。「建築・美術・音楽などの分野で1960年代に登場した、装飾的要素を最小限に切り詰めた簡素な形式。」。なるほど、簡潔明快。でも、分かったような、分からないような…。なので、今度は、『知恵蔵』(朝日新聞社発行)に当たってみたら、そこには、噛んで含めるような、詳しい説明がしてありました。 「1960年代の米国で影響力をもった、形態や色彩を最小限度までに突き詰めようとした一連の態度。その絵画や彫刻作品は、ミニマルアートと呼ばれる。米国国旗を作品化したジャスパー・ジョーンズなどの影響を受けたフランク・ステラは58年、黒

おコメをキーワードに考えてみたら

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 料理研究家の辰巳芳子先生が書かれた『続 あなたのために お粥は日本のポタージュです』(文化出版局発行)という、この本。装丁からして、まず、他の料理本とは違います。表紙が、何と、あのイタリアの巨匠、ジョルジュ・モランディの静物画なのです。日本では、よっぽど、絵画やイタリア映画(例えば、フェデリコ・フェリーニの『甘い生活』など)に造詣が深くないかぎりは、知らないはずの画家なので、不思議に思い、本の前書きを読むと、辰巳先生が、モランディの絵をこよなく愛している由! それで、合点がいった次第です。この絵は、辰巳先生が編集者に直々に頼み込んだ絵だったんですね。  本の中身は、タイトルからも分かるように、要は、お粥の作り方と味わい方を紹介した本なのですが、その出発点が、「日本人が古来、馴染んできた、お粥、おじや、重湯は、立派なポタージュではないか?」というところにある点が、画期的だと思うのです。お粥の作り方・味わい方を紹介した本は数あれど、お粥の持つ「スープ性」に着目した本は、おそらく、この本が初めてではないかと。 (※画像をクリックすると、出版社のページに飛びます)  で、辰巳先生が辿り着いたのが、おコメの持つ旨味です。ちょっと長くなりますが、その経緯について、辰巳先生が分かりやすく解説していますので、引用させていただきます。 「私は、粥を炊く過程で得られる、重湯というものの、かけがえのない旨味に、独自のスープ性を見出し、新たな”ポタージュ”として、世に問いかけてみたいと考えています。スープには縁の遠い方々にも、我が事として、お粥に他の養分を添え、スープ性を作り出すことは容易です。  粥のかけがえのない、口ざわりと旨味、日本の米のみに託された、新たな手法です。西欧の料理人に、この意味で”米”を紹介したい。」  どうですか、辰巳先生の、並々ならぬ決意のほどが伝わってくる文章じゃないでしょうか。この文章に触れた瞬間、「お粥をいい加減な気持ちで食べたら、罰が当たる」。そう、思いました。と同時に、「何も、グルメして歩かなくったって、日本の cool な食べ物は、おコメをキーワードに考えていけば、身近にいっぱいあるんじゃないか」と気づかされたのです。それが、「クイック粥」はじめ、

日本の「 cool な食」を探し求めて

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 中学、高校で習ったのとは、およそ、違った意味で使われている英単語が結構、ある。「cool」なんかが、その典型的な例。「カッコいい」という意味で、外国人なんかが頻繁に使っている。  自分では、「冷たい」とか「冷静な」という意味で使っていたのに、いつの間に…。というわけで、手元にある『ジーニアス英和辞典・第3版』(大修館書店発行)を引いてみたら、意味の5番目に、こう書いてあります。 「すてきな、かっこいい」 そして、その用例として、It’s cool.(それでOKだ。)とYou’re just getting cooler.(ますます、素敵な人になって下さい。)が挙げられています。そうか、年齢を取ったら、ますます、素敵な人にならなきゃいけないのかあ…。結構、日本人には難しい”宿題”かもしれませんが、とにかく、英語圏の人たちは、「cool」という単語について、そんな使い方をしているわけです。  人はだれでも、他人から「カッコいい」と見られたいと思っているはずですが、この「カッコよさ」、国によって、基準がかなり異なるので、ちょっと厄介。だって、今や、日本のcoolの典型として取り上げられる、マンガやアニメ、それと、原宿のファッションなどだって、「coolだ!」と言い出したのは、外国人観光客ですからね。それらは、それまで、ただのB級カルチャー扱いでした。カッコいいなんて、誰も思っていなかった(まあ、な~んちゃって制服を着てる娘や、コスプレしてる娘は、それがカッコいいと思ってやってると思うんですが)。それが今や、政府も観光政策上、無視できない一大観光資源ですからね。変われば変わるものです。  ただ、外国人観光客の食の分野での、カッコよさの発掘意欲は、今一つ、物足らない気がします。好きな食べ物として、お寿司や天婦羅、すき焼きなどは挙がってきますが、それらに対して、「coolだ!」という賛辞は、あまり聞きません。  というわけでね、いつまでも外国人観光客頼みじゃいけないと思い、一念発起。余っていたA3のコピー用紙に、マジックで大きく「cool」と書いて、机の前の壁に貼り出し(なぜかわからないけど、こうすると気合が入るのです^^)、自ら、食の分野でのカッコよさ探しに乗り出したわけです。  で、大型書店の料理本コーナーなどを、あちこち彷徨っていた